未来の通信を担う技術として注目を浴びているNTN。
成層圏から地上に電波を届けるHAPSもNTNの一つですが、現在サービスの実現に向け、HAPSの電波について国際的な取り決めが進められています。
その一環として、ソフトバンクではHAPSから届く電波干渉を評価するための世界共通の電波伝搬モデルの開発を主導し、そのモデルが2021年9月に国際電気通信連合の無線通信部門(以下「ITU-R」)においてHAPS向け「電波伝搬推定法」へ追加・改訂され、国際標準化を達成しました。
目次
HAPSのサービス実現に欠かせない「電波伝搬モデル」
「電波伝搬モデル」とは、電波がアンテナからどのように広がり届くのかを推定するため、さまざまな環境での空間や遮蔽物による損失や反射・回折などの電波伝搬特性をモデル化したものです。
HAPS向けの「電波伝搬推定法」には、「干渉検討用電波伝搬推定法」と「システムデザイン用電波伝搬推定法」の2種類あり、干渉検討用は、隣国同士や異なる無線通信システム間の電波干渉を調整するため、またシステムデザイン用は、安定的にサービスを提供する際、HAPSの機体をどう配置すればエリアをカバーできるかを計算するために使われる推定法で、ソフトバンクが国際標準化達成に貢献したのは「干渉検討用電波伝搬推定法」の電波伝搬モデルです。また、「システムデザイン用電波伝搬推定法」においても、一部の特性について世界に先駆けて国際標準化を達成しました。
電波伝搬モデルが必要な理由は?
成層圏から電波を送るHAPSは、地上の基地局と同じようにスマートフォンに通信を提供することができます。しかし、上空から広い範囲に電波が届くため、地上のエリアと重なった時に、電波やシステムに干渉して通信に影響を与えてしまうことがあります。
通信の世界では、新しく電波を発生する事業者は既存のシステムに悪影響を与えないよう配慮することが求められます。そこで、HAPSが上空から照射した電波が国境を超えて隣国のシステムや地上の基地局の電波に影響を与えないように、強度の変化や届く距離を正確に推定した上で、機体の配置やアンテナの向きなどを工夫して制御しなくてはなりません。
その調整を行うための基準が国や事業者によって異なると、一方の推定法では「届いていない」と判断された場合でも、もう一方では「届いている」と計算されてしまい、電波が十分に届かないエリアができたり、国境付近の展開が困難となるケースもでてくるなど、サービス展開の大きな壁となってしまいます。
その問題を解決する「電波伝搬推定法」の国際標準化はHAPSの普及にとって非常に重要なものになります。「電波伝搬推定法」を国際標準化することで、国や事業者にとって異なっていた基準を世界共通のものにすることができます。
HAPSの事業展開を目指す世界中の事業者にとって大きな一歩となる電波伝搬モデルの作成にはどんな道のりがあったのか、ソフトバンク 基盤技術研究室の表英毅に話を聞きました。
地形・建物・人体、世界中のあらゆる環境で実験を重ねモデル開発を主導
ソフトバンク テクノロジーユニット 基盤技術研究室 新技術研究開発部
部長 表 英毅
ソフトバンクが「電波伝搬モデル」の開発に取り組むことになった背景は?
4年に1度、WRC(世界無線通信会議)という国際会議が開かれています。2019年の開催時に、HAPSをより広いエリアで使えるようにするため、他のサービスや隣国との干渉検討用の電波伝搬推定モデルを2021年までに作成し、2023年のWRCでの周波数関連の検討に使用する、という方針が決まったので、それに向けての取り組みになります。
でも実はソフトバンクとしては、それより前の2017年ぐらいから動いていました。ITU-RのSG3という電波伝搬を専門とするスタディグループで、われわれが主導してHAPSの電波伝搬モデルの必要性について提案し、2018年にはITU-R SG3に専門の検討グループを作るなど、HAPSの電波伝搬モデルの国際標準化に向けた活動を行ってきました。検討を進める協力を得るために、海外までSG3のキーパーソンに直談判しに行ったりしましたね。
HAPSの電波伝搬モデルがそれまではなかったということでしょうか?
厳密にいうと、1999年に基本的な環境を対象としてHAPS電波伝搬モデルの勧告が作られていました。ただ、それは主に障害物が何もないエリア、つまりHAPSからさらに上空の衛星や、地上でもHAPSから直接見通しのある局のみを想定した推定法でした。また、他の勧告を参照する形で記載されていましたので、計算方法が明確ではありませんでした。
そのため、これまでは遮へい物がない環境で、自由空間損失を中心とした計算方法で電波の強度が推定されていましたが、実際には、電波は森があると減衰しますし、建物などの地物があったら反射や回折が起こり、見通し環境より届きにくくなります。
あるいはアンテナの向きが違ったり、さまざまな要因で電波の届く範囲が変わってくる。
ソフトバンクが検討している地上向けのサービスを実現するため、自由空間損失だけでなく、山岳や森林、雪山など全ての環境を盛り込んだ形で電波伝搬の推定モデルを作りたかったのです。また、基本的な環境を対象とした計算方法も明確に整理する必要がありました。
全ての環境、というとかなり広範囲ですが具体的にどのようにして作っていったのでしょうか。
それはもう、可能な限りあらゆる環境での電波の届き方を測定しました。
たとえば、森による電波の減衰。
地上とヘリコプター間で測定を行う時に、間に森を透過させました。森を通るとどれだけ電波の減衰が起こるのか、同じ森でも1年間を通して季節によって葉の茂り具合でどう変わるのか。それを日本だけでなく米Loon社※に協力いただいてケニアで測定するなど、いろんな場所で測って森林による周波数と季節による特性をデータ化していきました。 また、建物による電波の減衰も、元々存在していた10GHz以上の周波数の推定モデルを基に、新たに建物の高さなどをキーパラメーターにして10GHz以下の周波数にも適用できるようにモデルの修正提案も行いました。
さらに、「システムデザイン用電波伝搬推定法」では、人体も電波遮蔽の要因となります。街中だといろんな方向から電波がくるので、人体を模した模型に電波を当てて360度あらゆる角度で測定した損失モデルを作成しました。
- ※
Alphabetの子会社のLoon社はHAPS事業者であり、2021年に事業撤退しました。ソフトバンクの子会社であるHAPSモバイルと2019年4月にHAPSの利用促進のための戦略的関係を結び、さまざまな分野で協力してきました。
長い時間をかけた大掛かりな測定ですね。
はい。まさに数年単位の取り組みです。ここまで多様な環境のデータを実際に測定して集められるグループは、これまでITU-R の中にもなかった。ヘリコプターを飛ばしたり、Loon社の力を借りながらではありますが、ケニアで成層圏に気球を飛ばして測定するなど、大掛かりな実験はなかなかできることではないので、そういう意味で非常に価値がある実験ができたと思いますし、推定モデルの完成にソフトバンクが大きく貢献できたと思います。
ソフトバンクの社風としてそれだけの実験をやらせてもらえる環境があったことはとてもありがたかったですね。
そのようにして作られた電波伝搬モデルが国際標準として採用されたのですね。
先ほどもお話したITU-R SG3で、私たちが測定したデータを基に開発したモデルが、各国の実験結果と合致するかなどさまざまな意見が交わされました。各国さまざまな考え方や言い分があるので、それを一つ一つ交渉していくのは大変でしたが、なんとか技術的な合意形成を経て2021年にITU-RのHAPS向け「電波伝搬推定法」へ追加・改訂され、ITU-R勧告P.1409-2として発行されました。
交渉は骨が折れそうですね。2018年に専門グループを作ってから約3年で国際標準化達成というのはスピードとしては早いほうなのでしょうか。
2023年のWRCに向けた干渉検討用モデル作成の締め切りが2021年7月と決められていたというのも大きいのですが、基本的なHAPS電波伝搬モデル勧告が一応あったとはいえ、改めてさまざまな環境での測定データからモデルを作ったことを考えると、3年というのは早いほうだと思います。2018年当時は、HAPSというもの自体が世界でそれほどホットトピックではありませんでしたし、2019年のWRC以降で議論が本格化した、と考えると実質2年。本当にスピーディーに進めることができました。
どこでもつながる世界へ。HAPSでよりよい通信世界に貢献
この電波伝搬モデルを使って、今後HAPSの実用化に向けて国際的にどんな取り組みが行われるのでしょうか?
現在はITU-RでIMTシステムを担当しているWP 5D(Working Party 5D)というところで、干渉計算を基に各国の調整を行うため、われわれが国際標準化に寄与した電波伝搬モデルを使った議論が続いています。議論の結果は2023年のWRCでの周波数関連の検討に利用されます。
「システムデザイン用電波伝搬推定法」については、現在一部の環境に関しては標準化していますが、まだ全部を網羅してるわけではありません。干渉検討用と違って、これは事業者がHAPSをサービス展開するときに必要になってくるものなので、もう少し議論が続くのではないかと思います。
今後、NTNの普及に向けてさらにどんな取り組みをしていきたいですか。
現在携帯電話の通信は、地上に基地局を設置してそこから電波を届けていますが、まだまだ電波が届かない場所が世界にはたくさんあり、約35億人ぐらいの人がインターネットを利用できていないと言われています。HAPSやその他のNTNサービスが普及することで、そういった届かない場所にも電波を届けることができるようになります。また、2011年に発生した東日本大震災の時、基地局が地震で倒れたり津波で流されてしまい通信がつながらなくなった。世界中をインターネットにつなげるのはもちろんですが、地上の影響を受けないHAPSは、日本では特に災害時に貢献できるのではないかと思っています。
その実現に向けて私ができるのは、測定をしてモデルを開発し、標準化を推進していくこと。少しでも早く、世界中の皆さんに使ってもらえるよういい形でまとめたいなという気持ちは常に強く持ってますし、少しずつそこに近づいていると思っています。
今回、ITU-Rへの提案に始まり、世界を動かして国際標準化達成に至るまで、ゼロから取り組ませてもらいました。この経験をもっともっと活かして、よりよい通信世界を作っていきたいですね。
第33回電波功績賞の「一般社団法人電波産業会会長表彰」を受賞
今回の取り組みが認められ、ソフトバンクは、一般社団法人電波産業会(ARIB)が主催する第33回電波功績賞の「一般社団法人電波産業会会長表彰」を受賞。6月28日に行われた表彰式には表が出席しました。
電波功績賞は、電波の有効利用に関する研究開発において、画期的かつ具体的な成果をあげた個人や団体、あるいは電波を有効利用した新しい電波利用システムの実用化に貢献した個人や団体に対して授与される賞です。
また、本研究開発に関連し、令和3年度 電子情報通信学会において、基盤技術研究室 新技術研究開発部 アンテナ伝搬研究開発課の木村翔が"高基地局環境における屋内侵入損失の測定解析"および"高基地局環境における屋内侵入損失のサイトスペシフィックモデルの検討"で学術奨励賞を受賞しています。
(参考)
ITU-RでHAPSの「電波伝搬推定法」の国際標準化を達成(2021年10月27日 ソフトバンク株式会社)
(掲載日:2022年7月20日)
文:ソフトバンクニュース編集部
ソフトバンクのNTN構想
ソフトバンクは世界のどこからでもインターネット接続を実現するために、宇宙空間や成層圏から通信ネットワークを提供する非地上系ネットワーク「NTN(Non-Terrestrial Network)」ソリューションの日本およびグローバルでの展開を推進しています。
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