
昭和20年3月9日深夜のときの話になると夫と義母は「ここからも東京方面の空がまっ赤に見えたよ」と言う。実はそのまっ赤な空の下に私の家族は逃げ惑っていたのだ。
私は5人姉妹の末っ子として生まれた。戦争が激しくなると、私とすぐ上の姉の2人は母の実家の群馬県のいとこ夫婦に預けられたので、焼け出されたときのことは後から姉たちに聞かされた。
その夜、父は鍋や釜を防火用水に沈め、積めるだけの家財道具を大八車に乗せ、母、姉3人、身寄りのない、わが家で小僧として働いていた清ちゃんの6人で火の粉の飛ぶ中、風上へ風上へと逃げたそうだ。
そしてしらじらと夜が明け始めた頃、公園に着き、ほっとしていると残り火の粉が大八車に積んであった布団に燃えついた。父は咄嗟(とっさ)に「清、しょんべん、しょんべん」と言って火を消したと言う。
その後父は母と姉を電車に乗せて私たちの疎開先に向かわせ、自分は防火用水に沈めた鍋や釜を取り出して大八車に積み足し、清ちゃんと2人歩いて家族のもとへ合流した。
姉のひとりは「風上へ逃げたこと、鍋や釜を水に沈めて焼かれずにすんだのは、お父さんが機転を利かせたからなのよ」と言った。
今、両親はもちろん、姉2人も亡くなったが、今年92歳になる清ちゃんは囲碁を趣味として元気にひとり暮らしをしている。
倉持昌子 82 さいたま市岩槻区
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March 08, 2020 at 03:00AM
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【朝晴れエッセー】父の機転・3月8日 - 産経ニュース
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