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【新日本プロレス】なんと自ら“売り込んで”初実況をゲット! 清野アナに直撃! - スポーツナビ

新日本プロレスリング株式会社

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なんとスマホサイトでも“リレー形式”の新連載がスタート!

新日本プロレスのレスラーや関係者に、ファン時代〜選手や仕事として関わり始めた時代、自分が関わったベストバウトなどを直撃する集中連載!

初回のゲストは、新日本プロレスへの“偏愛”(!?)ぶりで知られる清野茂樹アナウンサーが登場! 紆余曲折の末、新日本プロレスの実況席に座るまでの物語とは? まずは前編をお届け!

※以下、『“ボクと新日本プロレス”ヒストリー』清野茂樹アナ編の序盤をSportsnaviで無料公開!

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――この連載は、レスラーや関係者の方に新日本プロレスとの関係を中心にうかがっていくインタビューなんですけど、まずは清野アナと新日本プロレスの“最初の出会い”を教えてもらえますか。

清野 ボクの世代ですと、ご多分に漏れずかもしれないですけど、やっぱりテレビ(『ワールドプロレスリング』)で見た初代タイガーマスクの試合ですね。

――やっぱり初代タイガーマスク。じゃあ、あの金曜夜8時の生中継をリアルタイムでご覧になったわけですか。

清野 そうですね。ただ、ボクはデータマンなんで細かくなってしまいますけど。初代タイガーのデビュー戦って、アレは生中継じゃないんですよ。

――あ、そうなんですね。

清野 アレは録画ですね。蔵前国技館ですけど、たしか試合自体は木曜(1981年4月23日)だったと思うんですよ、あの試合自体は。

――その録画放送を翌日の金曜日に流したと。あの伝説の回は、じつはディレイだったと。その時、なぜ「プロレスを見てみよう」と思ったんですか?

清野 ボクは、先にアニメの方を見ていたんですよ。『タイガーマスク二世』を。そのアニメの中で、「今度タイガーマスクがデビューします!」みたいな告知があったんですね。

――『タイガーマスク二世』は、テレビ朝日系列の放送で、新日本プロレスとメディアミックスしていましたね。それで「観てみよう」と。

清野 それがキッカケですね。当時、まだ小学校2年生でしたけど。

――その時、本物のプロレスを観て、どんな印象がありましたか?

清野 やっぱり“実物”が出てきたことに驚きがありつつも、そこでいきなり衝撃をガツンと受けたという感じではなかったですね。やっぱり、まだアニメの方が興味あったので。

――どっちかというと、タイガーマスクの本物はアニメというか。

清野 そうなんです。最初はそういう感じでした。でも、学校に行ってる中でだんだんプロレス自体が話題になってきて、そこから次第にハマっていった感じですね。

――で、清野さんのいまの職業を考えると、そこで「プロレスにハマったのか?」「プロレス番組にハマったのか?」というと……。

清野 それはほぼというか、もう完全に“プロレス番組”のほうでしょうね。プロレス自体も好きでしたけど、プロレス中継そのものに惹かれていったというか。

――それを自覚したのはいつぐらいですか?

清野 小学校4年生の時だと思います。

――小4でもう自覚していた(笑)。

清野 自覚してました。というのも、その時期に“アレ”が始まるんです。ようするに「ラジカセのカセットで、プロレス中継を録音する」っていう作業が小4ですでに始まってるんです。

――ボクも同世代なのでよくわかりますけど、あの当時ラジカセでテレビの音を録るのがなぜか流行りましたよね。

清野 そうなんです! いまのファンは意味がわからないかもしれないけど、当時はまだ“ビデオ前夜”の時代ですから。で、そのカセットで録音したプロレス実況を繰り返し聴くのがメチャクチャ楽しかった。じつはこの間その時のカセットテープが出てきていまだに持っているんですけど(笑)。

――いまだに保管してますか(笑)。じゃあ、小4にして延々とプロレス実況を聞き続けまくる日々が始まると。

清野 そうですね(笑)。その時代はちょうど長州力選手と藤波辰巳(現・辰爾)選手が“名勝負数え唄”をやってる時代で、抗争がヒートアップしてる時だったんです。いまも明確に覚えているのが“雪の札幌”の時なんですよ。

写真提供/清野茂樹アナウンサー

――雪の札幌! プロレス史に残る札幌中島体育センター大会のテロ事件(1984年2月3日)ですね。
 
清野 ハイ。あのときも小4だったんですけど、アレは金曜日の生中継だったんです。で、新しいカセットテープを用意してラジカセで録音したら、なんか全然試合が成立してないみたいな不穏な感じで……。子ども心に「これはいったい何なんだ?」みたいな。

――入場シーンの最中に長州選手が、藤原喜明選手に襲われるという歴史的な事件ですね。ただ人混みが凄くて、中継ではしばらく何が起こったかわからないという。

清野 ええ。で、繰り返し繰り返し、その実況の音だけを聞いて(笑)。あとから聞きなおすと、長州選手が入場してくる時から、ちょっとおかしな雰囲気が実況に出てるんですよね。

――ああ、そうでしたか。

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清野 一瞬、長州選手の姿が見えなくなって場内が騒然としている中で、古舘(伊知郎)さんが「いま山本さん、(長州は)ファンと揉めてますか!?」と聞くと、「違いますよ、コレ藤原ですよ!」と解説して。で、「おーっと! 長州力が顔面を真っ赤に染めていま立ち上がっている〜!!」(古舘実況風に)という感じで。

――さすがですね!(笑)。

清野 ハハハ。あのへんはもうまるまる暗記していますから(笑)。

――もうプロレス史に残る名実況という感じで。

清野 そうですね。だから、ホントに当時から、落語のテープを聴くような感じでプロレスの実況テープを聞き込んでましたね。だから、当時は金曜日に『ワールドプロレスリング』を録音して、それを聞いて暗記して、土曜日に学校に行って、ちょっとこう周りに披露する感じで。

――小4でクラスメイトに実況を披露していたと。ほかにそういうことをやっていた友だちはいなかったですか?

清野 さすがにいなかったですね(笑)。

川田利明選手との学園祭の模様。 川田利明選手との学園祭の模様。 写真提供/清野茂樹アナウンサー

――そこから、プロのアナウンサーになるまで時間はありますけど。このアナウンサーという職業は、“プロレスありき”で目指したわけですか?

清野 ハッキリ言うと、自分は大学時代とかは割とボンヤリしていた方だったんです。何か目標があったり、明確に将来を見据えてアナウンス研究会に入っていたわけでもなくて。

――あ、そうなんですね。

清野 ハイ。全然そんなことなかった。割とボンクラ学生だったというか。

――といっても青山学院大学ですから、凄いと思いますけど。

清野 いえいえ。ただその頃に、唯一夢中になってたことが学園祭でプロレスラーのトークショーをやることだったんですよ。

――じゃあ、プロレス同好会に所属していた?

清野 えーと、それも入ってたわけじゃなくて、むしろボクが自分でプロレス同好会を作っていましたね。

――自分で作ってた。あの時代、学園祭にプロレスラーを呼ぶのがけっこう流行ってましたよね。『週刊プロレス』でも学園祭のレポートがよく載ってましたから。

清野 そうです、そうです。で、そういう記事を見て、「俺もやりたいな」と思って。そこで自ら司会をやるわけですよ。

――ああ、そこで初めてプロレスラーとトークする。

清野 ハイ。つまり、『真夜中のハーリー&レイス』(毎週日曜日23時〜、ラジオ日本で放送中、清野アナがパーソナルティを務めるラジオ番組)でやっているようなことです。そこでプロレスラーと1時間お話をするっていう……、いまとやってること変わらないですね(笑)。そのチケットを売って、教室を満員にするっていう、いわゆる“興行”をやってたんですよ。

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