織田邦男
麗澤大学特別教授
元航空自衛隊空将
●「私」を捨てて、「公」に尽くす
5月5日、石川県能登地方を震源とする震度6強の地震があった。直ちにスクランブル待機中のF15戦闘機が発進し、上空から被害状況を確認した。今後、自衛隊は地上部隊が投入され、人命救助や被害復旧のために尽力することだろう。
12年前もそうだった。東日本大震災が発生し、自衛官約10万人が動員された。人命救助や遺体捜索に懸命に活動する隊員の真摯な姿は国民に感動を与えた。多くの国民が「いざという時はやはり自衛隊だ」「国の屋台骨は自衛隊だ」と実感した。災害派遣を契機として、自衛隊に対する国民の意識、メディアの報道ぶりも少しずつ変わってきたように思う。
東日本大震災では派遣された隊員は、東北方面の部隊に所属する隊員が多く、彼らもほとんどが「被災者」だった。自分の家族も被災し、家を失うだけでなく、家族を失った隊員もいた。だが任務優先で悲しんでいる暇もなかった。
夜を徹して、しかも休みの無い災害派遣活動であった。被災した家に帰宅もできず、自分の家族と連絡さえとれない隊員も多かった。家族の生死も不明で、どこの避難所にいるかも分からないこともあった。
だが「私」のことはそっちのけ、歯を食いしばって黙々と救助活動、捜索活動に専念した。思い余って自衛官OBが、勤務を続ける自衛官に代わって、家族の消息を確かめる役を買って出る始末だった。
温かい食事は先ずは被災者に、自分達は冷えた缶詰を。仮設風呂は被災者優先で、自らはペーパータオルで身体を拭くだけ。また発見した御遺体は自分の親戚のように丁寧に扱った。こういった涙ぐましい活動ぶりに、日頃、自衛隊の善行は決して伝えず、あら捜しに専念するメディアも、こういう献身的な活動ぶりは、流石に伝えざるを得なかったようだ。
「私」を捨てて、「公」に尽くす若い自衛官を見るにつけ、まだまだ日本も捨てたものではないと思う。同時に、自衛隊に約40年間奉職した筆者としては、自衛隊の教育は決して間違っていなかったという思いを更に強くした。
●自衛隊に対する絶賛に近い評価
「更に」と言ったのは、現役時代、同じ思いをしたことがあるからだ。航空自衛隊は2004年から5年間、イラク人道復興支援のため、中東に派遣された。後半の2年8カ月、筆者はイラク派遣航空部隊指揮官として派遣部隊の指揮をとった。
テロやゲリラ、そして地上からの銃撃やミサイル攻撃が予測される厳しい環境下にあって、決して生易しい任務ではなかった。だが、隊員達は黙々と日々の任務を遂行し、無事故で5年間の任務を完遂した。メディアは決して伝えなかったが、この間、不祥事は一件もなかった。
海外での任務は、自衛隊の実物像を諸外国に晒すことになる。C130 輸送機での航空輸送任務は、諸外国と全く同じ条件で実施された。憲法9条があるからといった特別扱いは全くない。自ずと諸外国空軍と比較され、厳密に評価される。母基地を設置したクエートの政府や空軍のみならず、共に輸送任務を遂行した米軍や諸外国空軍から自衛隊が厳しく評価された。結果的には、自衛隊員に対する諸外国の評価は、驚くほど高いものだった。
5年間の任務を終え、撤収を迎えた時、筆者は指揮官として諸外国空軍への挨拶を兼ねて現地を訪れた。諸外国の将軍達は大変歓迎してくれ、昼食会を実施してくれた。席上、何か一言喋れと言われたので、筆者は日頃の支援に謝辞を述べた後、諸外国軍と自衛隊の違いとして、「軍法」「軍法会議」がないことを説明した。その反響は予想を超えるものだった。将軍達が目を丸くして仰け反るように驚く姿に筆者が逆に驚いた。その後、矢継ぎ早に質問が飛んだ。「軍法が無いのに、どうして規律が厳正なのか」「何故、脱走兵が出ないのか」「何故高い士気が維持できるのか」等々。予期せぬ矢のような質問にたじろいだ。普段、そんなことに疑問を持つこともなかったからだ。筆者は一言、“Samurai Spirit”(武士道だ)と言って何とかその場を凌いだ。将軍たちは怪訝な表情のままだった。
中東での5年間、延べ3600人の航空自衛官が派遣されたが、諸外国軍の評価は絶賛に近いものがあった。礼儀正しく規律厳正、使命感旺盛、高い操縦技術、任務遂行への誠実さ等々、さすがは「日本軍」の兵士だと。中東諸国の将校は、何かあると「日露戦争」と「特攻隊」の話題を持ち出す。彼らの眼には自衛隊と日本帝国陸海軍がダブって映っていたようだった。
●自衛隊における教育とは
他方、最近の国際世論調査の結果が気になる。「貴方は、自国が侵略されたら国の為に戦うか」との問いに対し、「はい」と答えた日本人は13.2%で79か国中、ダントツで最下位だった。ビリから2番目のリトアニアでも30%を超えている。ちなみにベトナムが1位で98%である。
この調査結果と上述のような自衛隊員の優秀さとのギャップはどう考えるべきか。筆者は、自衛隊に対する国際的な高い評価は、自衛隊における教育の成果であり、世論調査の結果は、日本の学校教育の欠陥であると確信している。自衛隊は特別な人が入ってくるから、立派な活動ができると言う人がいる。これは大いなる誤解である。自衛隊には普通の若者、平均的な若者が入隊する。平均的な若者であるから、礼儀は知らない、挨拶はできない、満足な言葉遣いさえできない若者も多い。だが数ヶ月、自衛隊の教育を受けただけで、親が驚くほど変身する。
「自衛隊では、どういう教育を」と一般の人からよく質問を受ける。筆者は「戦後教育の否定」「公の復活」と答えることにしている。日本の戦後教育は、国家や権威を否定し、「個」や「私」を「公」や「国家」より優先させた。国家は悪であり敵対する存在と決めつける。こういう偏ったイデオロギー色の強い教育がなされてきた。思想、信条を押し付けてはならないとの美名のもと、教育現場で国旗、国歌を否定するという異常な教育が続けられてきた。海外で生活すれば、日本教育の異常さが良くわかるはずだ。その「戦後教育」を否定するわけである。入隊したら先ず、宣誓をする。「事に臨んでは危険を顧みず……」と。「個」や「私」の優先から「公」や「国家」を第一とする価値観への転換である。毎朝、国旗掲揚があり、毎夕、国旗降下がある。その時は何処にいても国旗に正対し、国旗に対して敬意を払う。
自衛隊の教育、訓練を通じ、国家や公に尽くすことを徹底して教え込む。また実践を通じ、人に尽くす喜び、国家に尽くす生甲斐を体得させる。半年もすれば、みるみる眼の輝きは増し、若者は見事に変身する。
人間は本来、人の為、世の為に尽くすことに喜びを感ずるDNAを持っている。「あらゆる人間愛の中でも、最も重要で最も大きな喜びを与えてくれるのは祖国に対する愛である」と歴史家キケロも述べる。新約聖書にも「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」とある。
日本人は本来優秀なDNAを有している。このDNAを教育によって思う存分開花させるわけだ。人を助ける心地よさ、国家に尽くす喜びを実感する時、若者は素晴らしい自衛官、いや「本来の日本人」に戻る。
人は他人のため、社会のため、国家のために尽くす時、最大の生き甲斐を感ずる動物である。他人のために生きることは人間にとり、自己実現に他ならない。このような人類の普遍的価値観の核心にはあえて目を伏せ、枝葉末節のみ教育してきたのが戦後教育であろう。
●必要とされる教育の刷新
自衛隊に奉職して約40年、自衛隊は素晴らしい人間教育の場だと断言できる。自衛隊の後輩達には、世の毀誉褒貶に惑わされることなく自信を持って続けてもらいたい。他方、日本の学校教育、特に義務教育においては、自衛隊の教育を参考にして刷新を図るべきだ。とにかく「公の復活」を叩きこむことだ。
日本は今、爛熟して倒れつつあると言われる。戦後教育の成果が浸透し、欲望の肥大化と悪平等主義のエゴイズムの氾濫の中にある。この結果が「13.2%」なのだろう。
「文明は外からの攻撃によってではなく、内部からの社会的崩壊によって破滅する」とトインビーはいう。文明の没落は社会の衰弱と内部崩壊を通じて起きる。まさに日本は衰亡の道を歩んでいるとしか思えない。
日本における教育の刷新は喫緊の課題である。福沢諭吉は言う。「政治上の失策の影響は大きいが、それに気づいて改めれば、鏡面の曇りをぬぐうのと同じで痕跡は残らない。しかし教育の場合は、アヘンのように全身に毒が回って表面に表れるまでは歳月を要し、回復には幾多の歳月を要する」と。他方、「いかなる国家も衰退するが、その要因は決して不可逆なものではなく、意識をすれば回復できる」とトインビーは語る。
40年間、国防に従事してきた筆者にとって「13.2%」は衝撃である。昨今の国会のやり取りをみても、枝葉末節に拘泥し、「天下国家」が語られることが少なくなった。「国家安全保障」という国家の本質さえ、何が問題であるかを認識できない国会議員も多くなった。
昨今の日本の経済、社会の体たらくを見るにつけ、日本が衰亡の一途を辿っているようにしか思えない。「意識をすれば回復できる」という。だが、戦後教育の負の遺産をぬぐうのは長い歳月を要する。だからといって手をこまねいているわけにはいかない。まずは身近なところから意識の転換に着手すべきだ。学校教育と共に、家庭教育の刷新も必要である。それには親世代の再教育、意識の転換が欠かせない。今すぐ「公の復活」を推し進めるべきだろう。
現在、日本を取り巻く安全保障環境は戦後最悪といわれる。平和は叫んでも、千羽鶴を折っても得られない。平和は得るものでなく、努力して勝ち取るものだ。そのためには、先ずは国民の教育が急務である。「最大の国防は良く教育された市民である」とトマス・ジェファーソンが語っている。日本の国を守り、衰亡から救うには、迂遠のようだが「公の復活」という教育の刷新から始めなければならない。
(5月6日記)
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