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がんばれ梨田さん! あのときも今も、僕らの思いは変わらない - ニフティニュース

 PCの電源を入れる。まずは何をおいてもヤフーニュースの画面。スポーツニュースの見出しを凝視します。探しているのはひとつの名前。……《梨田氏、病状に変化なし》……落胆と、そして同時に、安堵と。

 1か月ほど前の、これが毎日の日課でした。

 退任から何年経ってもごく自然に「監督」とお呼びしたくなる梨田昌孝さんの入院が伝えられたのは4月1日のこと。新型コロナウイルス感染判明のニュース、だけじゃなかったんです。いきなり「重度の肺炎」だったんです。「呼吸困難」「集中治療室」……ぶん殴られるような文字列でした。

 私がPCを見ているのに気がつくと、老父が声をかけてきます。「おい、梨田さんはどうなってる?」「変わりなし、だって」「そうかあ……まだよくならないのか……」「でも悪くなってもいない訳だから……」

 今日も容体は変わらない。快方に向かう知らせが聞かれないという落胆と、ともかくも悪い知らせはなかったという安堵と。来る日も来る日もこれを繰り返し続けて4月の半分以上を過ごし、じりじりしているところへ、やっとその吉報は届きました。

■何一つ明るい兆しがこれっぽっちも見えない訳ではない

《梨田さん一般病棟へ》

 よくなってるんだ!

 梨田さんと同じ頃に感染が判って入院していた脚本家の宮藤官九郎さんが退院した時、彼が手掛けたドラマ「いだてん」の、オリンピックで盛り上がる大観衆の場面を使って喜びを表現したツイートがありました。梨田さん退院のニュースはまだですが、気分としては、野球場で盛り上がる場面の写真をいくつも並べたいところです。

 たとえば中田翔のホームラン。たとえば則本昂大の奪三振ショー。いつかほんとにすっかり元気になったら、その時はやっぱりあれでしょう。北川博敏代打逆転満塁サヨナラ優勝決定ホームラン!

 プロ野球2020年シーズン開幕のめどはまだ全く立ちません。開幕どころか、チームが普通に集まって練習をすることも、それをファンが見に行くことも、できないままの日々がずっと続いています。ただ静かに日にちだけが過ぎて、いつの間にか4月から5月へ。いつ終わるとも判らない足踏みを延々と続けているような毎日。

 でも、それでも、本当に何一つ明るい兆しがこれっぽっちも見えない訳ではないんです。だって梨田さんは回復に向かっているのですから。1か月前には集中治療室に入っていた人が、再び自分の足で歩き始めているのですから。

 4月14日の日刊スポーツで、田中賢介が《実は今季の札幌ドーム開幕戦になるはずだった3月24日楽天戦は、梨田さんとW解説の予定でした》と語っていました。どれだけ先のことになるか判りませんが、いつかきっと仕切り直しが実現しますように。愛弟子の解説者デビューを、隣で支えて下さい。そして時々、得意のだじゃれで突っ込んでやって下さい。

 その日を待っています、梨田さん。監督。

※選手の交代をお知らせします。青空百景に代わりまして、ライター近澤浩和。

■中学生の時に見た後楽園球場での梨田さんの姿が蘇った

 僕の梨田昌孝の記憶は中学生時代に遡る。友だちが持っていた無料招待券で後楽園球場の日本ハム対近鉄戦を見に行った。友だちは巨人ファン、僕は中日ファン。新宿から水道橋の電車賃だけでプロ野球が見られるというそれだけの動機だった。試合の内容は全く憶えていないが、三塁側内野スタンドとレフトスタンドとの間にあったブルペンをのぞきこんでプロのピッチャーの球の速さとミットにおさまる音に驚いた。そのミットを構えていたのが、理容店にある「デザインパーマ」のモデルのような二枚目。マスクも着けずに笑顔で「ナイスボール!」と声をかけていた。爽やかだった。背番号を見てスポニチプロ野球手帳を開いて、「ふーん、梨田っていう選手か」と確認したのが、最初の記憶だ。

 その後、有田修三捕手との「アリ・ナシ」コンビでレギュラーに定着した梨田さん、近鉄初優勝(1979)〜連覇の頃からリーグを代表するキャッチャーとなり、オールスターファン投票1位の常連だった。強肩で盗塁を刺し、独特のコンニャク打法でバットでも貢献した。

 1986年、自宅の建設用地から旧石器時代の遺跡が発掘されたり、引退試合となった1988年「10.19」の第1試合では起死回生の決勝打を放ち、監督として優勝を果たした2001年の胴上げ試合は代打逆転サヨナラ満塁ホームランで決着、と話題に事欠かないパ・リーグの「顔」だった。

 リーグ連覇を置き土産に米国へ帰ったトレイ・ヒルマンの後任として梨田さんが北海道日本ハムの監督に就任した当初、「近鉄の梨田さんがなんで日本ハムに?」と戸惑いを感じたが、わずか4年の就任期間でチームに残してくれた財産は少なくない。

 優勝した2009年のファイターズマガジン10月号の大野のインタビューに、印象に残った首脳陣のアドバイスとして「キャンプ中、監督から『ピッチャーの気持ちを考えて愛情をもってキャッチングしてあげなさい』と言われました」とある。これを見て、僕が中学生の時に見た後楽園球場での梨田さんの姿が蘇った。ポジティブな声掛けとスマイル。キャッチングの技術以前に愛情を説く梨田流。

 5月7日、「梨田昌孝氏が2回連続PCR陰性」とのニュースが流れた。3月31日の緊急入院から38日が経過して退院の基準に達したものの、不整脈の症状が見られるため引き続き入院して治療するという。僕らは2009年のチームスローガン「Re:Challenge」を掲げて応援するよ。頑張れ、梨田さん!

※選手の交代をお知らせします。近澤浩和に代わりまして、ライターえのきどいちろう。

■優勝特番で僕は梨田さんの「宇宙一」にツッコんだ

 ファイターズ時代の「梨田昌孝監督」はその在籍期間(2008〜2011)の4年間で一度、パ・リーグ優勝を遂げている。2009年シーズンだ。優勝の決まった試合は10月6日のナイター西武戦だった。僕はNHK北海道の優勝特番のゲストとして札幌ドームの観客席にいた。

「優勝特番のゲスト」はものすごくヘンな仕事なのだ。実況中継じゃないから試合中は特になーんも用事がない。ただ1人で野球を見て、弁当を食べたり「賢介たのんだぞー」と叫んだりしていればよろしい。優勝が決まった夜、祝賀会の様子を見せたり、監督や主力選手を別室に呼びインタビューするような番組だ。これが面白いのはマジックが2か1になったら飛行機で札幌入りして、もしそこから足踏みしたら何日でも延泊させられるところだ。優勝が決まるまでやらない番組。

 自分でいうのも何だが、僕はこの番組に大変向いている。まず身体が空いている。原稿の仕事はどこで書いても同じだから、昼間だけ放っといてもらえば宮越屋珈琲でも札幌ドームのプレスルームでも仕事をする。何日延泊して何試合見てもぜんぜん平気。で、優勝が決まったら爆発的に喜ぶ。NHKとしては演出上の指示が要らない。喜色満面で画面に映る。ときどき目頭を押さえたりもする。あと選手インタビューのときはツボを心得た質問ができる。日夜、ものすごく野球のことを考えているからだ。

 梨田さんはヒルマン前監督の色を継承しつつ、糸井嘉男をセンターに据える等、円熟期のチームに刺激を与え、2年ぶりのリーグ優勝に導いた。ベテランらしく引き出しの多い監督さんだった。特に興味深かったのは捕手の併用だ。大野奨太、鶴岡慎也の2枚の捕手を使い分けた。それは梨田さん自身が近鉄の現役時代、有田修三と併用された経験に裏打ちされていたと思う。また高橋信二の打撃を生かし、4番ファーストに固定した。人の使い方がうまい。持ち味を生かそうという選手への目配りがあった。

 当夜の西武戦は延長戦にもつれ込んだ。延長10回裏、楽天が敗れ優勝が決まる。が、誰もが勝って胴上げをしたかった。延長12回、金子誠の犠飛で5対4のサヨナラ勝ち! その瞬間、グラウンドに紙テープが投げられた。梨田さんが宙に舞う。3度。何となく低空飛行だった。これは梨田さんご自身が「重かったんでね。もうちょっと高く上がりたかった」と後でコメントしている。大人の味なのだ。ちょっとテレがある。SHNJO、ヒルマンと来たファイターズのショーアップ路線にはちょっと乗りはぐれている。優勝監督インタビューで(たぶん球団広報が用意した)決めセリフを言ったのだが、けっこうな違和感があった。「ファイターズファンは宇宙一です!」

 もちろん優勝特番で僕は梨田さんの「宇宙一」にツッコんだ。監督おめでとうございます。前任者のヒルマンさんが「シンジラレナーイ! 北海道の皆さんは世界で一番です!!」と言ったのを受けての「宇宙一」だと思いますが、もうこれ以上、大きなものがありません。次に優勝したときは何と言われますか? 梨田さんはインタビュールームで穏やかに笑った。「それは次の方に考えてもらいます」。

■ファイターズはこの年、新型インフルエンザ禍で窮地に立った

 そうそう、大事なことがある。それは梨田さんにも伺ったし、その後、インタビュールームに来た宮西尚生にも直接聞いたのだ。「今年はインフルエンザにもかかって、思い出深い年になっちゃいましたね」。ファイターズはこの年、新型コロナならぬ新型インフルエンザ禍で窮地に立った。首位を独走していたチームが集団感染によって主力を欠き、6連敗を喫したのだ。宮西もその1人だった。「ホントですねー。あれは参りました。熱が下がっても身体に力が入らず、なかなか戻りませんでした」。

 ほぼ10年前のことだ。たぶん熱心なファンの方でも、言われて、あぁ、そんなことがあったなという感じじゃないか。ファイターズはウイルス感染症でシーズンを台無しにしかけた「球界初の経験」を持つ。今の言い方でいえばクラスター発生だ。あれは貴重な教訓をチームに残した。衛生面の管理や、罹患者を隔離する対応など現場が学んだものはとても大きい。

 経過を振り返ろう。インフルエンザは通常、真冬に流行するものだが、この年は春頃から新型インフルエンザが世界的に流行していた。ファイターズで最初に罹患したのは大野奨太だった。8月16日、札幌市内の病院でインフルエンザの診断を受け、戦列を離れている。が、事態の深刻さには誰も気づいていなかった。この日は代役で出番をもらった中嶋聡が延長10回、相手のサヨナラ暴投で激走&生還している。翌日の新聞に「インフル代役40歳中嶋」の見出しが躍った。まだ「ちょっといい話」の範疇だった。

 18日の楽天戦(旭川)で大騒動になる。試合前、選手、コーチら20名が次々にタクシ−で病院に運ばれたのだ。そのうち福良コーチ、スレッジ、宮西、金森がインフルと診断され、宿舎に隔離された。翌19日は更に6人が発熱でダウンだ。二岡、糸井、小谷野、鶴岡、八木、菊地が隔離。幸いグラウンド状態不良のため試合は中止になったが、「オーダーが組めない」(梨田監督)緊急事態である。

 チームは7月から9カード連続勝ち越し(球団記録)と絶好調だった。何と7ゲーム差離してぶっちぎりの首位だ。が、18日以降、今季ワーストの6連敗を喫して、3ゲーム差まで詰められてしまう。6連敗目の8月26日には(既にスレッジ、小谷野、糸井らは復帰、強行出場していたが)新たに真喜志コーチ、飯山が発熱している。

 スタメンを比較してみよう。8月16日(大野だけが欠場した日)のオーダーは1番賢介、2番糸井、3番稲葉、4番信二、5番スレッジ、6番小谷野、7番坪井、8番鶴岡、9番金子誠だ。それが20日にはこうなる。1番賢介、2番村田、3番稲葉、4番信二、5番坪井、6番金子誠、7番稲田、8番中田、9番紺田。看板の「最強の2番・糸井」や勝負強いスレッジが消え、すっかり小粒な打線になっている。

 注目ポイントはこのピンチに2軍からコールアップされた中田翔だ。このときは(大野、鶴岡が揃って離脱したため)高橋信二が捕手を務め、中田が一塁に入った。鳴り物入りで入団したものの、1軍の壁に阻まれていた中田(そして陽仲壽)がチャンスをもらった。まだブレークしないんだけどね。若い力が起爆剤になるんじゃないかと期待されたのだ。

 だから優勝の決まった夜、ファイターズの選手、スタッフは皆、心底ホッとしていた。僕は優勝特番の「興奮よりも安堵」という空気感を覚えている。危なかったのだ。一時はどうなるかと思った。梨田さんの「宇宙一」はそういう大混乱の末に飛び出したのだ。

 今は梨田さんも球界全体も、あのときと比べものにならない大ピンチだ。だけど、梨田さんもプロ野球も、きっと苦難を乗り越えるものと信じている。「10年前のパンデミック」をファイターズは現場で経験した。がんばれ梨田さん! あのときも今も僕らの思いは変わらない。

◆ ◆ ◆

※「文春野球コラム Cリーグ2020」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト https://ift.tt/3clE2BH でHITボタンを押してください。

(青空百景,近澤 浩和,えのきど いちろう)

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