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最初は「ボート選手になろうと思った」。
松岡「バイクの事故で足を失ったのは、高校生の時だったと」
加納「僕が16歳の時でした。高校を中退して、若干道を外れた時で……」
松岡「差し支えなければ、どんな状況だったのか伺っても良いですか」
加納「元々は剣道をやりたくて高校に入ったんですけど、それを辞めて、違うことに挑戦しようと思ったんです。具体的に言うと、ボート選手になろうと思った。お金が稼げると聞いていたし、体が小柄なのも逆に有利に働くと聞いたので。そのためにまずお金を貯めようと思って、働き始めて。そのバイトの帰り道に事故に遭ったんです」
松岡「乗っていたのは原付バイクですか」
加納「いや、400ccの単車です。誰かとぶつかったわけではなくて、単独で。1人で転けちゃって」
松岡「スピードの出し過ぎですか」
加納「いや、法定速度内でした。ちゃんとヘルメットも被っていたんですけど、運転が下手くそだったんでしょうね。スリップして、転倒して、立ち上がろうとしたら立ち上がれなくて。よく見ると足がバイクに挟まって、そこから骨のようなものが出てました」
松岡「その時はまだ手術をすれば治るだろうと」
加納「そうですね。そんな感覚でした。でも、立ち上がれなくて、どんどん下が血の海になっていくし、実際は皮膚一枚で足がつながっていた状態だったんです。すぐに周りにいた人が駆けつけてくれて、救急車を呼んでくれました」
「1週間後にはもう、病院内で車いすレースを」
松岡「すぐに手術をしたんですね」
加納「はい。麻酔を打たれて、医者には『壊死するかもしれない』とその場で言われました。切断した方が良いと言われて」
松岡「いきなりですか!」
加納「いや、そういう説明を両親が受けていたみたいです。僕はまだ16歳で未成年だったし、麻酔を打たれて意識が朦朧としてましたから。後で聞いた話によると、両親は足をつなげて欲しいと懇願したみたいで、それでいったんつなげたそうですけど、やっぱり壊死は避けられず。その2、3日後にまた手術を受けて、左足を切断するに至りました」
松岡「まだ高校生の年齢ですよね。僕は同じような体験をした方に2人ほど話を聞いたことがあるんですけど、若いからかなかなか立ち直れなかったって。慎太郎さんはどうでしたか?」
加納「僕はけっこう立ち直りが早くて、1週間後にはもう、病院内で車いすレースをしてましたね」
松岡「(あ然として)どうしてですか。失礼な言い方だけど、そこはちゃんと落ち込んだ方が良いと思うんですけど」
加納「すごく落ち込んではいたんですけど、両親や周りの人を心配させたくないというのもあったんです。元気を装っているところも多少はあって、障がいをちゃんと受容するまではやはり10年くらいかかったと思います」
松岡「10年ですか!」
加納「本当に障がいを自分の中で受容するまではそれくらいかかりましたね」
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